昨日、山田町にいるおばさんから電話。

お彼岸に山田にくる?
実はね、以前に身延山に家族旅行に行ったでしょ。
そのときの写真が見つかったんだよ。
ボランティアさんがキレイに洗浄してくれて立派なアルバムに入っているよ。
預かっているからね。


それは、父と母と兄と私と家族4人で大旅行をしたときのものですね。
釣具店、民宿と経営していましたから、まったくもって休むことがない我が家。

ちょうど、忙しくしていた僕の仕事が一段落し、溜まっていた代休を一気に使う機会があり
民宿もお客さんが途切れたあたり・・・・

思い切って行ってこよう!


もの凄く無計画に始まった旅行でした。
母も他界しましたし、それが、最初で最後の家族旅行ですね。 
母が亡くなる前にも楽しかったとニコニコしたものでした。

その珍道中の物語




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どこ行く?

よーし金沢にいぐべ!
つれでぐっけ~~!

金沢は大学4年過ごした所、しかも東京屋のルーツ福井の隣県です。

山田を出発し、釜石方面へ107号線で北上へ向かい高速に乗ります。
途中、しょんべんがではる~やら、あれやこれや途中休憩があり
高速道路にたどり着くのに3時間以上かかったのではないでしょうか。


 高速道路に乗ること自体が、超ひさしぶりの父・母は・・・

これが高速道路かーーー?

感動しはじめます。 

後部座席の母は後ろを向き・・・
車がキターぞ!おいこされんが、きぃ~つけろ~~!

横にいた父は、こどもみでったぁが。やめろざ。

しかし母はやめませんでした。運転している息子に注意を促す為でした。ミラーで見えてるんだけど。まずまず。

そのうち、あんまりとばすなよー!

とかいろいろうるさいです(苦笑)

仙台を過ぎ、郡山に着いたところで、磐越道に乗り換えです。
新潟に抜け、その後北陸道で金沢に向かう予定でした。

しかーし、すでに夕方になっています。

どっかで泊まんねーが?

父が言いました。
確かに、これから突き進んでも夜になってしまってかえって宿が取りづらくなる。

どこで高速降りたか忘れましたが、会津あたり。
この日はなんなくスタンダードな温泉宿に。
無計画な割には順調っぽいです。


翌朝、出発・・・今日こそ金沢を目指します。
新潟を経由し、北陸道へ

さあ、日本海です。

太平洋が、すぐ目の前の我が家。

日本海はめったに見ることはありません。

新潟県と富山県の県境の親不知(おやしらず)は、断崖絶壁の難所。
高速道路は海の上を通しました。
見晴らしがいい。

ほれほれ、日本海だーが。
ざ、ひれぇ~がなぁ~
(広いな)

そうそう、湾口が狭いリアス式の山田湾とは違うからね。


さー、金沢に着きました。
う~ん、どこに最初にいったっけかな~~。

兼六園にいったか、大学時代お世話になった学生寮にいったか。

いずれ金沢市内で、いったのはその2カ所です。

兼六園では記念撮影の写真を撮ってもらい買いました。
そのとき気づいた・・・

兄さん、サンダル?

着る物には無頓着な兄。出かけるときにこれを着ろ、あれを着ろとあれこれやってましたが
履き物に気が回ってなかった。

兄貴は、この旅行をすべて普段はき慣れているサンダルで通しました。

ま、そういう僕は上下ジャージでしたwww

兼六園で、宿の予約。
予約先は、加賀温泉郷・・・たしか山中温泉にしたと思います。

かに食い放題つきというプランで予約。

むこうはやはり、越前ガニ

うんめーーがねー!

かにを食いまくり、お代わりを注文。。
しかし、次に来たのは、身がスカスカ・・・あれ?
冷凍だな、これ
テンションダウン。

翌日、石川県に来たとあれば、能登に行きますよ!

その前に親父のリクエストで、東尋坊
やっぱり、福井県に立ち寄ってみたかったようです。
東京屋のルーツですからね。


ルーツめぐりなら、永平寺まで行けばよかったんですが、
そこまでは無理でした。


一路、能登半島へ!

一旦金沢志まで戻り、内灘から能登有料道路へ乗ります。

金沢から能登に行くっていうのが、岩手県の盛岡から三陸に向かうのと同じような感覚ですっけ。
金沢にいた頃、能登に行くのは故郷の三陸に帰る、そんな錯覚をしていましたねー。

能登有料道路は、三陸横断道もしくは三陸縦貫道のイメージですね。


さて、たどりついたのは輪島市

輪島について、宿探しです。
宿探しは、今度は父と母が探してくる!!ということで・・・・
民宿に決定。民宿新谷さん

自分で民宿やっているから、他の民宿に泊まってみたかったみたい。
その夜は、民宿のご主人と民宿談義!?

翌朝は、輪島の朝市

輪島の朝市は、おばちゃん、おばあちゃん達が、ものすご~く強力です。

とにかく、買わせます。スゴイです。
おに~ちゃ~ん、買ってって~~、なんでもいいから買ってって~~。
いくらもってんの~。 それぐらいなら、これどぉ~~?
所持金聞いて、その値段に見合う物を強引に勧めます。

負けないようにかわす・・・

その中、強者をみてしまった・・・・

ふらふらふら~~~と露店に立ち寄り
あれだこれだ話をしてます。
ふんふんと聞くだけ聞いて

買ってって~~と言われた瞬間

おら、金~もってねぇがら~~~!

強引な売り子に、強引に振り切る客


母でした・・・・・・・・・・・


すげぇ~~!!


で、また次の店に

またかわすのか? 妙な期待。。
しかし、その期待は裏切られました。


おどっつあん、おどっつあん!

親父を呼びます。

交渉成立したようです。
お土産にかにを買うというのです。

試食させてもらいましたが、昨晩たべた最初のかにと同じくウマイ!

親父はだれそれとだれそれと・・・買っていく相手を決めます。
こういうとき親父は太っ腹です。


10箱ぐらい一気に買ってました。
そして、郵送しておいてくれと

金がないと言っていた母は、お金を親父に払わせ、また次の店にいき、

おら、金~もってねぇがら~~~! 

を繰り返していました。。。あの神経すげーーー!

施設以外で話しかけられることがめったにない兄は・・・
おにーちゃんおにーちゃんと、おばちゃんたちにもの凄くコールされ
ついつい近寄って、はいおにーちゃんこれどぉ~?と手渡され・・・・

ほいっと渡されて、ほいっと受け取る

え?
横にいた俺が、なぜかお金を払う

まんまとやられてるよ~~


その後、能登半島をぐるりを周り・・・・
そうそう、見附島も行きましたね。

ここは大学時代に剣道部で合宿した内浦町というところ。

能登は、輪島等の西側が外浦、東側が内浦。外浦は波が荒く、内浦は波がおだやか。
そして人間も外浦が荒くて、内浦が穏やか。そういわれてました。
荒くても、能登はやさしや土までもと言われるのは本当で、能登の人達は親切でやさしかった。

さて、その後・・・次に向かいます。
父、母のたっての希望で、身延山へ

富山に戻って、富山から山梨へ抜けていきました。

ここで問題発生!

お金がない!

輪島の朝市で、ずいぶんと散財しました。

俺も親父も、ちょっと次の宿の金がないなーー
そんな話になり・・・・

銀行を探すため、市街地に行きます。
あ! あれ銀行かも。。

車を停めて、親父が見に行きました。


そこで母が俺に耳打ちします

金ならあっつぉ!


なにーーー!?
さんざん、金ねーーーって言ってたのに~~~

聞くと、自分のヘソクリをこっそり持ってきていたらしいです。
しかも、ずいぶん持っていました。


いきなり、お金の心配がなくなりました。

身延山へGO!です。


また、移動中夜になりました・・・
宿を探します。

なんか湖があるな?
諏訪湖でした。

諏訪湖畔の温泉宿を見つけました。

いやあ~~、つかれだ~がねんす。

今回の行程は、無計画&長距離なので、見て回る時間より移動時間のほうが長いです。
むちゃくちゃですwww

風呂さへ~っぺ~す


信玄風呂という岩風呂があり、なかなかの風情。楽しめました。

ほんと、無計画の割には、それなりに進んでいます。
今回の宿賃は母のヘソクリでまかないますwww

さ、翌日は身延山へ

僕は身延山へは始めていきましたが、さすがに総本山。
スゴイですね。
お寺は大きいし、いろいろな修行場がある。

父も母も、信心深いので、身延山に来れたってことで喜んでましたね。
ここでは、

交通安全のお守りを買い、この後の交通安全を願います。

そうそう、この辺・・南部町ってあって、それが、岩手南部藩の藩主。南部発祥の地なんですって。へぇ~~

この後、東名高速にのり帰路につきます。

東名高速は、いままでの東北道、磐越道、北陸道にくらべ、はんぱなく交通量が多い。


空きスペースを狙って車線変更割り込みも多くて、もう母は大忙しでした。
きぃーつけろーーー。とばすなー。ほりゃーーきーつけろーー!

うるさいのなんの。
でも、まぁ、気が気じゃなかったのでしょう。確かに高速であの交通量は父、母にとっては想定外ですからね。


その後、東京に入り、私がお世話になっていた以前勤務していた会社の社員寮に寄ります。
まかないをしてくれていた、管理人さんとご家族にあいさつし

また、北上しました。

夜になったのは茨城県

このとき、なんでか忘れましたが、東北道を避けて常磐道にのったんですね。たぶん。
東北道にのっていたら、茨城じゃなくて栃木だもの。

土浦市で宿探し。
ところが、土浦では霞ヶ浦マラソンというイベントがあり、宿探しは難航・・・

やっと見つけたのが古いビジネスホテル。


意外だったのが、父も母も喜んだ。
僕はずぅーーーと父と母は、たたみに布団を敷く、温泉宿みたいなところがいいんだろうなーと思っていた。
ところが、ビジネスホテルのベット。
こちらが起きたり寝たりが楽でいいって・・・

なーんだ!そうだったんだぁ~~~。
あぁ、考えすぎだったなぁ~。

みんな、それぞれベットで就寝。ゆっくり休んで、翌日は一気に山田までかえりまーす。

山田に戻り、洗濯やら荷物の整理やら・・そして就寝

親父は泣いていた。
いい思い出になった・・・と
おまえは孝行したなぁーーと言っていた。


母親も、死ぬ間際に無意識になってしまったけれど、旅行のことを枕元で話すと、ニコニコ笑った表情に。


見て回るより、移動時間のほうが長い、むちゃむちゃな行程だったけど
まー楽しかったんだな。

そのときの写真が、流されてしまってから1年と5ヶ月経過して見つかった。

親父に話したら・・・あぁ~あのときのかぁ~~懐かしそうにしていた。